2005年11月11日

「武士道の国から来た自衛隊」

一年ほど前に出版された「武士道の国から来た自衛隊」を読んでの感想です。著者は、産経新聞イラク取材班。
全体的に産経らしく、自衛隊のイラク派遣任務について肯定的なスタンスとなっています。まあだからこそ買ったのですが(笑)。
まず死地に向かう隊員の覚悟。
隊員の覚悟については、両親に告げることなくイラク派遣に志願した若い隊員とその両親の話、もう一つは、出発前に白木の小箱と自分の髪と爪を準備して妻に託し、イラクへと飛んだ定年間近の隊員の話でした。派遣部隊が駐屯している旭川市内に黄色いハンカチがはためいている写真が載っていて、思わず目頭が熱くなります。
そして、いつもどおりに基地にやってくるプロ市民の方々のデモ行進。思わず命の軽重について考えてしまいます。

次には指揮官のインタビュー。
指揮官になった番匠さん(一等陸佐、普通の軍隊では大佐)のインタビューでは、まず志願者が非常に多かったこと。PKOではない隊員派遣のため国連の支援が無く、自分で自分の身を守る必要があったので、戦闘訓練、特に市街地戦の訓練を重点的に行ったこと。また、当然国連からの事前情報もなかったので、独自に先遣隊を出して現地の状況を確認し、実際に派遣された後も砂漠地帯特有の自然環境に悩まされたこと。施設の設営に時間がかけられず(PKOだと半年かけるそうで)、1ヶ月程で取り敢えずの基地を作って、その後復興任務と平行して設営を続けていたこと。1980年代に石油開発関連の企業が中東にきて日本流のビジネスをしていたおかげで、現地でイラク人との交渉が比較的スムースにいったこと。などなど、苦労話のオンパレードです。
こういうお話は、外務省や防衛庁が積極的に広報しないといけない内容など思うんですけどねぇ。自衛隊のホームページには活動内容が載ってはいますが、テレビと新聞を使わないことには現時点ではアピール不足と言えます。どうせ日本のマスコミは待っていても取り上げてくれないんですから、新聞広告枠にお金を使ってでもアピールした方がいいと思うんですけどね。

それからWAC(婦人自衛官)が地元の女性団体と女性同士で交渉できた結果、地元のニーズを余すことなく拾うことができたこと(それが実行されたかは別問題として)や、他国にはなかった音楽隊を派遣して地元民と他国軍隊との橋渡しがスムースに行えたことが取り上げられています。これは復興支援を行うには、コミュニケーションが一番重要と考えた、第二師団長の河野陸将(普通の軍隊では、大将or中将)の好判断があったようです。
音楽隊はマスコミでも少し報道されましたが、小学校でミニコンサートを開いたりして地元民とのコミュニケーションを図ったり、またオランダ兵が戦闘で死亡した際には葬送ラッパを吹いたりと、イラクで自衛隊の存在をアピールするのに非常に効果的だったようです。
施設部隊は今までにないくらい短期間での基地設営を求められましたが、突貫工事にもかかわらずしっかりとした基礎を作り上げて復興支援作業と平行しての設営作業もしっかりこなした結果、他国軍隊から視察者がひっきりなしに訪れるような整然とした基地を作り上げました(防衛戦闘にどれくらい耐えられるのかはわかりません。実践未経験ですから)。また、設営工事にイラク人を雇いましたが、彼らに土方仕事を任せるだけでなく隊員も同じ仕事を共同で行ったことで、イラク人の信用を得たというのもあったようです。地道ながら大切なアピールですね。
補給部隊は今までで最大だった東ティモールPKOの2倍の物資をイラクに届けるという、兵站面(ロジスティクス)で非常に苦労したとのこと。ちなみにイラクに送った物資はコンテナ1100本分にもなり、それを半年かけて送ったそうです。物資輸送は隣国クェートまでは非常に速いのですが、その後イラク国内に入ってから現地習慣やテロ脅威があって、予定から1〜2週間遅れることも珍しくなかったそうです。
兵站面は世界一攻撃的な米軍も非常に重要視しているくらいですから、軍事行動の基礎とも言えますが、日本はこの面はまだ経験が足らないということでしょうね。米軍がイラクを攻撃した時には、軽く50倍以上の物資を運んで、補給が滞ることはほとんど無かったですから。

そしてマスコミでは報道されなかった、あるいは歪曲されて報道された活動内容の数々。
イラク人同士の交通事故に出会ったパトロール隊が、他国軍隊なら素通りする(テロの可能性があるので)ところを救出と応急処置をしてから去ったことが報道されなかったり。迫撃砲(粗悪でしたが)が打ち込まれた際に、支援活動を停止していないのに停止したと報道されたり。
自衛隊の広報官としては、サマーワが危険な状態になったからとマスコミ各社が記者を全員引き上げたのに、(イラクに残ったフリージャーナリストを通じて)出来事を都合良くねじ曲げて報道したり、完全に無視することに諦観すら持っているようです。
あと、産経新聞の記者もサマーワから早々に撤退していたように思うのですが、気のせいでしょうか。こういった本で後から偉そうな口をきくぐらいなら、サマーワで自衛隊に密着取材して随時報道してくれた方が個人的には非常に有益だと考えますが。

それから日本企業の政府・自衛隊に対するサポートの無さ。
先遣隊、派遣隊員達は民間機でクェートに飛び、そこから空自の輸送機でサマーワに向かったわけですが、他国なら当たり前の制服を着ての搭乗が拒否されたこと。それからイラクに進出している日本の現地法人へ情報提供を求めても拒否されたこと。
国を護る任務に就いている職業軍人に対して敬意を持つのは日本以外では一般的ですし、また欧州、米国の世界中に散らばっている企業は、企業活動を行うかたわら、その国と周辺国の情報収集を行い、それを自国政府情報機関に提供するのが当たり前になっています。
しかし、日本の企業は政治色や軍事色が付くのを恐れて、外務省や自衛隊の協力要請には応じていないようなのです。日本の場合は、最近の中国問題でもそうですが政経分離というのが徹底していますね。それって国益に反していると思いますが。
その点、欧州米国は大航海時代からの植民地政策を長く続けていたことがあって、精度の高い現地情報を得るには現地で長く生活している人間を使うというコンセンサスが出来上がっているように思います。日本がその域まで達するにはどれくらいかかるやら…

最後に今後の教訓・対策として、自衛隊の研究本部から派遣された隊員が今回のイラク派遣を子細漏らさず記録しているとのこと。もうすぐイラク派遣任務も終わりそうなので、そういった記録が大筋でもいいので一般人が読めるようになると嬉しいですね。
それから、日々の復興任務を通じてイラク人の心境変化を敏感に感じ取り、任務にないユーフラテス川の護岸工事を行ったり、子供達への折り紙教室、公衆衛生教室、鯉のぼりをユーフラテス川にかけたり、そして前述のミニコンサートを開いたりと、住民とのコミュニケーションを大切にして非常に効果的だった点は、今後も大切に継承されていくことでしょう。
また敢えて、砂漠地帯に森林地帯迷彩の車両を輸送して大きく日の丸を書いたり、アーマージャケットの襟と左胸に日の丸を縫いつけたりという、他国から見たら自殺行為のような目立つ装備も、復興支援という今回の任務ではイラク人に対して一定の効果があったようです。「うちらは戦争に来たんじゃなくて、復興のお手伝いにきましたよ」というアピールになったと、そういうことのようです。


全体的に自衛隊に肯定的なこともありますが、それを差し引いてもマスコミ報道されない自衛隊の活動を知ることができて本当に良かったなと。それが素直な感想です。
日本にいると「イラクで鯉のぼりがあがりました」とか「迫撃砲が撃ち込まれました」とかの、表面的な事象しか受け取れないわけです。その事象の裏に何があったのか、それを知るためには刹那的なマスコミ報道は役に立たず、こういった一冊の本なり雑誌の特集にまとまってようやく(ある程度の)事実が掴めるのですね。
ただ、上でも書いたように、今回の自衛隊イラク派遣を肯定的に書くのであれば、産経新聞の記者は現場に踏みとどまって、逐次情報を日本に送ってもらいたかったと思わずにはいられません。派遣当初はNHKや朝日の否定的な報道でどれほど心を痛めたか。フリージャーナリストやら特派員という名の現地人に任せっぱなしというのはどうかと思うのですが。
まあ、日本でのほほんと仕事辞めてブログ書いてる人間がこんなこと言っても説得力皆無なのは承知の上ですけどね(^_^;)。
posted by plop at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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