2007年07月11日

「不実な美女か 貞淑な醜女か」

さて、まだ読了感想待ちの本が続きます。

今日は「不実な美女か 貞淑な醜女か」。
著者は、米原万里氏(Wikipedia)。昨年亡くなったロシア語通訳の大家です。30歳代以上の方は、旧ソ連の崩壊の過程でゴルバチョフ演説やエリツィン演説の同時通訳をしていた女性だと言うとわかるんじゃないでしょうか。
単独での著書としてはこれが初だそうで、出版は1994年です。

内容は、通訳という仕事を通じて、言語学的な考察を加えながら、いろいろな面白エピソードや苦労したこと、深く考えざるを得なかったことなどを綴っています。
第一章では、通訳と翻訳の共通点を3つ上げています。第二章では、逆に通訳と翻訳の相違点が語られています。
第三章では、この本のタイトルにもなっている「不実な美女か 貞淑な醜女か」という表題で、通訳の仕事はどちらを重視するかが人によって違うこと、またその場の状況によって変えることがあることをエピソードを交えながら語っています。つまり、文脈的に美しいが意図が違っている通訳(=不実な美女か)か、美しくはないが忠実な通訳(=貞淑な醜女か)かということです。
第四章、第五章では、第三章を踏まえて如何にその場・その時に必要な通訳をするというのはどういうことか、ということを様々な実例を交えて提示しています。

全体を通して、いろいろな例が出されているのですが、その中には失敗例も枚挙にいとまありません。その失敗例の書き方が面白くて、この本を読みやすくさせています。そして失敗例が面白いからこそ、成功例にカタルシスを感じるという効果を生み出しています。

この「例」の書き方、というか文章力に関しては、幼い頃に共産党員だった父とともにチェコに渡り、そこで数年間徹底したロシア語教育を受けたからではないかと思います。
欧州の言語体系はアジアとは違い、狭い地域に多数の言語が入り乱れているためそれぞれの文法の定義などがかなり厳格になっています。その言語自体を教育機関で教えることによって国民のアイデンティティーとするくらいに。
そういった教育を受けた後に日本に戻り、文法があいまいな日本語の教育を再び感じ、それを日常で再び使い始めた際に著者の中で「日本語」と「ロシア語」の定義が確立され、その差を常に脳内で比較していて、それが文章力に表れているんじゃないかと思うのです。
#ちなみに日本語の文法は、学会の派閥云々があって決まらないらしいですよ。
#これは助詞だの助動詞だので派閥争いがあるとか。アホか。
#高校の頃の古典の先生が言ってました。

言語の定義論などもあって、アカデミックな雰囲気もありつつ実例が面白くて意外とスイスイ読めてしまいました。言語というものの本質が垣間見えたような気にもなります。もし、中学生や高校生の時に読んでいたら英語への取り組みも成績も違っていたのかななんてw
ただ、個人的には3冊目の著書「ロシアは今日も荒れ模様」の方が面白かったというのが正直な感想です。まあ、こっちはロシア語通訳を介してロシアの要人の面白エピソードを書き連ねたもので、言語論的なものはまったくないので当たり前なのですが。

もう米原万里氏は亡くなってしまったので新著は望めませんが、既著をいくつか読んでみたいと思いました。
posted by plop at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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